カルテット最終回ネタバレ考察と感想!1曲目や帽子の女の意味は?

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  • この記事を書いた人:編集長りとぽん

カルテット最終回の感想と考察をネタバレありでご紹介していきます!

2017年冬ドラマもほとんどの作品が最終回を迎えていますが、ついにこの日が来てしまいました…

2017年3月21日(火)をもって個人的大ヒットドラマ『カルテット』も第10話の最終回!

『カルテット』らしく色々な解釈の出来る最終回だったと思うので、感想や考察などをまとめていきます!

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カルテット最終回の感想

カルテット最終回(第10話)は番組冒頭から第9話から半年ほど経った夏のシーンからスタートでしたね。

真紀さん(松たか子)のファーストカットは「あれ?白髪目立つな?良いの?」と思ってしまったのですが、しっかりと演出の一部でした。

で、この白髪が後にカルテットドーナツホールの3人(満島ひかり/高橋一生/松田龍平)がマキさんを迎えに行った時に活きてくるわけです。

約1年ぶりに再開したすずめちゃん(満島ひかり)が真紀さんの髪と手を見て、辛い時間を過ごしてきたことを全て受け止めて抱きしめる…

こういった役者さんの圧倒的な演技と演出で無駄なセリフ以上に視聴者の心にグイッと入り込んでくる魅せ方はドラマ『カルテット』の真骨頂でしたね。

そして、抱き合ってる2人を冗談めかした空気感で、さらに包み込むように抱きしめられる家森(高橋一生)と自分も参加しようかなという空気を出しつつも、そういうことが出来ない別府(松田龍平)という関係性を、ちょっとした体の向き・目線・間で演じられる演技力高すぎる4人の織りなす空間は本当に素晴らしかったです。

その後は真紀さんがゴシップ誌に取り上げられている現状を逆に利用して、600人収容のホールでのコンサートへという展開は、ちょっとカルテットっぽくないところもありましたが、最終回の山場としては非常に効果的でしたし、ある種の勧善懲悪的な展開というのはやはり気持ちよさも感じられました。

そして、コンサート当日の入場時のシーンでのアリス(吉岡里帆)のまさかの再登場!

「人生、ちょろかったー!アハハハ!」と目が笑っていない笑顔で登場した彼女のインパクトは一瞬だったにも関わらず、すさまじかったですね。

SNSでは「ありす、ウザい!」といった意見が女性を中心に多く見受けられましたが、あれだけの演技派女優・俳優に囲まれた中で、全話を通して非常に強い印象を残した吉岡里帆さん(特に7〜9話!)は素晴らしかったと思います。

ちなみにコンサートのシーンで1曲目が終わって、観客がゾロゾロと帰っていくのはちょっと演出過剰というか、全話を通して唯一安っぽい印象を受けたシーンで残念でした。

あそこで演奏で観客を魅了してスタンディングオベーション!みたいな展開は、あまりに寒いですが、お金を払って来た人がああいう感じで帰るっていうのもちょっと無いかなぁと。

まぁ全話通してとてつもない充実した時間を提供してくれたので、良いとしましょう!

その後はライブ後の食卓のシーンになり、1話で大きな話題となった唐揚げ登場!

「あー懐かしいなぁ」と思うと同時に終わりが近いことを感じさせる演出、そして相変わらずめんどくさい家森節!

すずめがレモンをブワーッと唐揚げ全体にかけたところはアドリブっぽい感じもして、多幸感に包まれました。

エンディングソング『おとなの掟』を移動中の車でドーナツホールの4人で歌っているという演出は好みが分かれるところだったかもしれませんが、私は好きでした。

なんといっても曲の最後の「おとなは秘密を守る」という歌詞を真紀さんが歌っているというのが、前述のコンサート開演直前のすずめとの意味深な会話に深い意味を持たせているあたりが、多くを語らず、視聴者を巻き込んでた『カルテット』らしく非常に良いラスト(厳密にはその後ちょっとストーリーがありましたが)だったと思いました!

カルテット最終回の考察

時間軸ズレてる説を中心に視聴者の深読みでどんどんと盛り上がっていったドラマ『カルテット』でしたが、最終回も考察の余地のあるシーンがありましたね。

おそらく多くの方が気になったであろうポイントは

コンサートの1曲目『死と乙女』の意味
コンサート終盤で一瞬映ったキャップを深く被った女

の2つではないでしょうか?

まず、コンサートで1曲目として真紀が選んだ曲『死と乙女(作:シューベルト)』の意味ですね。

WIkipediaには以下のような説明文がありました。

乙女は「死」を拒否し、死神に去ってくれと懇願するが、死神は、乙女に「私はおまえを苦しめるために来たのではない。お前に安息を与えに来たのだ」と語りかける。ここでの「死」は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれている。ドイツでは、昔から「死は眠りの兄弟である」とよく言われており、ここでの「死」も一つの永遠の安息として描かれている。

なんだか文学的な説明で分かるような、分からないような…という感じでしょうか?

私は原曲における詩の解釈はあまり関係ないと考察しています。

単純に『死と乙女』という曲名が重要だったのではないかと。

義父を手に掛けたのでは?と世間から疑惑の目を向けられた真紀が、なぜ敢えてこの曲を1曲目にしたのか…ということが重要ということですね。

この曲について、開演前の楽屋で真紀とすずめは以下のような会話をしています。

すずめ:「まきさん、1曲目わざとこの曲にしたんですか?」
真紀:「ん?好きな曲だからだよ?」
すずめ:「マキさんのこと疑って来た人、別の意味にとりそう」
真紀:「そうかな…」
すずめ:「なんでこの曲にしたの?」
真紀:「こぼれたのかな…内緒ね」
すずめ:「…うん」

非常に『カルテット』らしい多くを語らない、まさに行間案件となっているシーンな訳ですが、私は真紀さんが口紅を塗りながら話しているという点が非常に重要だと考察しました。

第9話で自分は本当は早乙女真紀ではないことをドーナツホールのメンバーに告白するシーンで、山本あきこだった時のクセだと思われる唇を触る仕草を繰り返していましたよね。

つまり、すずめに1曲目になぜ『死と乙女』を選んだのか質問された時に冷静な様子だった真紀ですが、心は山本あきこ(山本彰子)に戻って、そこで出たセリフが「こぼれたのかな…」だったのではないでしょうか?

つまり、真紀さんは義父の死に関わっているという意味だと私は捉えました。

そして、真紀が1曲目に『死と乙女』を選んだ理由・意味は世間に対しての告白だったのではないか?と解釈しました。

みんなが少しずつ嘘をついて、みんなが白でも黒でもない関係性を描いてきた『カルテット』という作品を通して、おとなが守らないといけない最大の秘密は真紀さんの過去の過ちだったのではないでしょう?

そして、この一件も元凶は義父で真紀さんは被害者でもあるので、「自由を手にした僕らはグレー」という歌詞とリンクすると私は考察しています。

帽子(キャップ)を目深に被った女は誰?

想像以上に長くなってしまったので、以下の記事にまとめました。ぜひご覧ください!

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まとめ

長くなってしまいましたが、以上2017冬ドラマ『カルテット』最終回(第10話)の感想とネタバレ考察でした。

ここまで毎週みぞみぞさせてくれるドラマは久しぶりでしたし、今後も当分出てこないんじゃないかなぁ…なんて早くもカルテットロスに陥っております…

当サイトでは2017年春ドラマについても随時取り上げていきますが、ここまで熱量を持った記事は書けないと思っているということは、この記事を読んでくださったあなたにだけお伝えしますので、「おとなは秘密を守る」ということで引き続き温かく見守っていただければ幸いです。

お後がよろしいようで。

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8 件のコメント

  • カルテット、終わってしまいましたね。悲!

    みんながどんなふうに観たのだろう、と、いろいろ見てみると、
    なにやら諸説紛々・百家争鳴の様相! そのなかで、私には
    りとぽんさまの考察がいくばん正鵠を得てるように感じました。
    ぞくぞくと席を立つ演出が唯一「安っぽかった」というのも、
    「まきさんが義父の死に関わったのか」についての考察も。

    この点を「はっきり描かれていない」とか「多様に解釈できる」
    なんて言うひともいますけれども、わたしには「この上なくはっきり
    描かれている」としか思えません。作り手の方たちも「衝撃のラスト」
    と言ってたくらいで、この上なくはっきり書いたつもりだと思うのですが
    どうでしょう? あの場面、「こぼれた」を聞いて、そうなのか!と
    ぞぞっとしてほしかったんだと思います。なにしろあのときのまきさん、
    凄味の塊でしたから。

    こぼれた・・・。起訴猶予になり、そもそも猶予された起訴内容にさえ
    盛り込まれなかった罪状ではあるけれども、蓋をして「なかったこと」に
    しておくことがとても難しい(密閉すると容器の圧は高まりますから)
    という意味も込めて、「こぼれて」しまったのだと思います。

  • すごく共感しました!
    こんなに考えさせられながら見たドラマは久しぶりだったので、
    最終話のもやもやが晴れていきます!

    わたしも、こぼれたのは、
    まきさんが秘密にしていられなかったからかな…
    と思います。

    最後の車の中で歌っている4人の幸せそうな笑顔。
    おとなは秘密をまもる!

    松さんの演技が素晴らしくて、ぞくぞくしました。

    Twitterに、リンクはらせてくださいねー(*_ _)

  • 「死と処女(しとおとめ)」という映画のストーリーをwikiで読んで頂けるとよいかと。
    「マキさんのこと疑って来た人、別の意味にとりそう」という、すずめの言葉はここから来ていると解釈するのがしっくりきます。
    そこには、マキが過去にされたこと、したことが象徴的に表現されているのではないでしょうか。

  • ぺぺさま。見ました。おそらく、ぺぺさまのおっしゃる成分もきっと入っていると思います。
    私はこの映画作品を知らなかったのですけれど、そうであってもペペさまのおっしゃる成分が、
    カルテットの作品全体からきっちり伝わってきたように私には思えます。

    と、同意したことと、以下で述べる理解が合致しているかどうか、若干自信はないのですが

    私が思うに、「こぼれたのかな」の理解が紛糾しているのは(グレーとか多義的とか、
    そのような理解がなおも主流のようですが)、部分的な解釈(というか象徴的な深読み)に
    ばかりに囚われちゃっているからなんだと思います。

    なにしろ、戸籍買ってまで逃げたくなるようなことをしたと、少なくともまきさん本人は
    思っているわけですから、わかるでしょ、と言いたいのです。

    ただ、グレーだとか、殺してないからほっとしたとか思いたい気持ちは、
    やっぱり主人公のまきさんのことを視聴者が好きでたまらないから、なのでしょう。

    でも、シューベルトの「死と乙女」の内容を引用してよく言われる「この『死』は
    苦しみではなく安息を与えるものだ」という理解をベースに考えるとしても、
    義父さんの死によって、たくさんの人の、いくつもの苦悩が終焉し(そのひとつは、
    まきさんの元夫さんが発見して「やさしさゆえに、他の人のために、殺したのだ」と
    結論していましたね)、そのなかに義父さん自身の苦悩の終焉と安息も入っていた
    のだ、という理解になるとすれば、「殺さなかったよね」というような仕方で
    視聴者がまきさんを「救済」しなくてもいいんじゃないのかな、と私は思うのです。

    • ごめんなさい、一晩明けて気づいたのですが、私の考え違いです。

      もしお義父さんを殺していれば、別に戸籍買って失踪する必要ありませんね。
      むしろ、生きている「誰か」から逃げるため、と考えるべきですね。

      すいません、夜中で思考が迷走していました。

      だとすると、あのせりふは・・・。

      もうすこししっかり考えます。こんどは昼間に考えますね。

  • 初めまして
    カルテット最終回も素晴らしかったですね!
    私も、コンサートホールでのまきさんとすずめちゃんのやり取りが気になり
    とある場所で台本を読ませて頂きました。

    台本には、すずめが “かねてから思っている事”として話し始め その後にまきさんが口紅を直しながら「こぼれたのかな」と言ってることから
    私はまきさんも別府さんが好きだったんだと解釈しました。
    9話で、まきさんに「信じてほしい」と言われたすずめは、まきさんを疑うことはしないんじゃないかと。

    死と乙女 は 司と早乙女 という意味を込めたのかなと思いました。

    • 和久さま。

      それは考えつかなかった!それもあるのかもしれない。
      もし作者がそこも考えていたなら、凄すぎますね。

      きっとシューベルトと映画の件は、意識して下敷きにしているとは思いますけれども、
      たしかに和久さまの説もあり得ますね。

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